「旧高麗寺ゆかりの神像・仏像修理」に行ってきました!
大磯町郷土資料館で開催されている春季企画展「旧高麗寺ゆかりの神像・仏像修理」に行って来ました〜!
高来神社で発見された鎌倉時代の神像群の保存処理が約20年かけて完了し、大磯町郷土資料館で2021年6月20日まで展示されています。
高来神社はよく遊びに行く友人の家のすぐ近くで何度か参拝してことがありました。境内の案内板に神像の写真があるので、以前から気になっていたのです。
(高来神社の案内板より)
いつの日か神像の情報をネットで調べていたら、平成12年(2000年)に、神輿堂から十余体にのぼる神像群が見つかったという内容の記事を見つけました。“十余体にのぼる神像群”というパワーワードに卒倒しそうになりました(笑)
https://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/415_4.html
この記事によると、以前も郷土資料館で展示されていたようですが、11躯の神像を一堂に展示するのは今回がはじめてのようです!
神奈川県中郡大磯町高麗にある高来神社(たかく神社)は、標高168cmの高麗山の麓にあります。高麗山は古くから信仰の対象となった山で、明治の神仏分離までは高麗山の山頂とその麓に高麗権現社があり、そこに神像がお祀りされていたそうです。
高麗寺は8世紀頃、高麗権現の別当寺として創建されたと伝わっています。養老元年に行基が千手観音を高麗権現の本地仏と定め、神仏習合の地として信仰を集めました。
鎌倉時代には北条政子の安産祈願所として神馬を奉りました。そして、高麗寺の最盛期には僧坊が二十四を数え、神像群もこの頃に造られたそうです。
………
大磯町郷土資料館は、JR東海道線「大磯駅」から二宮駅行のバスに乗り10分、バス停から歩いて5分くらいのところにあります。大磯駅から徒歩で30分(約2km)なので、頑張れば歩ける距離です。
到着すると、入口に企画展の看板らしきものが見えました。
中へ入ると、GW中という事もあってか3.4人が常設展示を見学していました。
しかし、お目当ての企画展の方には誰もおらず、タイミングがよかったのか終始貸切状態でした!
展示室に入って正面に8躯の神像が並んでいました。ところどころ損傷の激しい部分はあるものの、遠くからでも端正なお姿の神像であることがわかります。これはものすごい光景です…!
神像群は全部で11躯あり、男神・女神・僧形・随神形に大きく分けられていました。
中でも男神像は写実的なお顔をされており、郷土資料館の入り口の看板にもなっていたお方です!
写実的で端正な男神像
袍衣を着用した上に袈裟を懸けた神仏習合スタイルで、これは伊豆山神社の伊豆山権現立像にも見られるため、様式を習って造られた可能性があるそうです。
女神像は男神像よりも傷んでいるのですが、よく見ると裾の方に赤い彩色が残っているのがわかりました。
彩色がほんのり残る女神像
(解説資料より)
お隣の僧形立像は神像と一緒に祀られていることから、これも神仏習合の思想が表現されています。
襟もとがおしゃれな僧形立像
男神像・女神像・僧形像はいずれも一木造のお像ですが、随神像は寄木造になっていました。2躯とも頭部が失われているので、あくまでも服装などから推測で随神像(随身像)とされています。
一体どんなお顔をされていたのか…
とっても気になります!
随神像(随身像)といわれれる頭部を失った神像
(解説資料より)
別のゾーンに行くと、玉眼を失った像高133cmの大きな男神立像と頭部を失った僧形立像がありました。どちらも寄木造のお像です。
弘安5年(1282)の墨書きが残る男神像と女神像
(解説資料より)
こちらの男神立像と頭部だけ残った女神像に弘安5年(1282)の墨書きがあったため、発見された神像群は鎌倉時代の作であると考えられているそうです。
いやぁ〜
これはなかなかマニアックではありますが、見応えのある企画展でした!本当は昨年の春の企画だったのですが、新型コロナウィルスの影響で今年に延期になりました。また感染者数が増えつつある状況ですが、無事に開催されて神像に会うことができて本当に嬉しかったです…!
今のところ2021年6月20日まで開催されていますので興味ある方は是非!
詳しくは大磯町郷土資料館のホームページをご確認ください★
↓↓↓
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyodoshiryokan/ex/sp_ex/on_view/14592.html